酒井 信吾
経歴
1954年 |
静岡市生まれ 青山学院大学経営学部卒業後 早稲田大学芸術学校建築設計科卒業 清水建設株式会社(東京本社)設計本部を経て |
---|---|
1995年 | 静岡市にUターン |
1995年 | 高木滋生建築設計事務所入所(Uターンと同時) |
2005年 | 酒井信吾建築設計事務所設立し独立~現在に至る |
2001年 | より静岡デザイン專門学校非常勤講師 |
2009年 | 「現代日本の建築vol.3」に作品が掲載される |
2014年 | 「静岡の建築家とつくる家」の建築家に選出され作品及び文章が掲載される |
2015年 | 「清水障害者サポートセンターそら」の建築設計によりウッドデザイン賞受賞(林野庁後援) |
資格・会員
- 一級建築士
- JIA(日本建築家協会)正会員
- 静岡建築士会正会員
- 地域文化財専門家(文化庁文化財ドクター)
- 静岡県耐震診断補強相談士
- 静岡県文化財建造物監理士
- しずおか木造研究会メンバー
- エコまち静岡研究所メンバー
- 長期優良住宅の設計を行う建築士事務所登録
- エコハウスマイスター認定建築士(一般社団法人エコハウス研究会)
- 住宅省エネルギー設計技術者(一般社団法人富士山木造住宅協会他)
独立
私はゼネコンの設計部、アトリエ事務所を経て独立しましたが、独立前までは、住宅も木造もほとんどやったことがありませんでした。
ただ常に住宅の設計をやってみたいと思っていました。
住宅はやはり木造が多く、仲間と「しずおか木造建築研究会」を立ち上げ、木造の勉強をしました。木造が解ってくると、その面白さ、その凄さ、その奥深さには常に驚かされます。
そして、木の持つ「やさしさ」を知ると、できれば住宅は木造でと思うようになりました。
※昨年(2015)「しずおか木造建築研究会」で仲間と共に設計した建築が林野庁後援の「ウッドデザイン賞」を受賞しました。
すべてにやさしい本物志向の和洋融合住宅
現代文明(社会)とは?・・・と考えると・・・ルーツはおそらく18世紀末のフランス革命と産業革命。
19・20世紀を経て現代がありますが、それは、人類史上まれにみる数世紀で、極論すれば、地球の姿、形をも変えてしまいました。
特に20世紀は、物質的にも思想的にも革命的で、(断片的な言い方ですが)経済効率最優先の大量生産・大量消費の物質文明でした。
建築的には、鉄とガラスとコンクリートの時代で、建築は工業化されて工業製品となってしまったとも言われています。
さて、今、私達の身の回りの物を見わたせば、その多くの物が工業製品(プラスチック、合成繊維などに代表される石油化学製品)で出来ています。
住宅も例外ではなく、むしろ工業製品そのものとも言えます。
今、環境、省エネ・創エネに配慮することは当然ですが、それだけにとらわれず、おそらく、一生に1度の家創りを、本当の姿に戻しましょう。
つまり、本物の家を創りましょう!
第2次世界大戦後の日本の焼け野原には、早く、そして沢山の住宅を建てる必要性がありました。
しかし、本当の住宅創りとは、自分の人生観・価値観・趣味・志向等を反映した、非常に大切で大変なイベントのはずです。
1つ1つが手造りで、世界でたった1つのものであるはずで、Aタイプ・Bタイプ・etc.・・・の中で選び、自然素材でなく大量生産の石油化学製品で造る家(お値段も思いのほか良い・・・)が、本当に快適で心地良い家であるはずがありません。
さて、現在日本で建てられている、いわゆる「現代住宅」は、おそらくほとんどが和洋折衷住宅です。
その証拠に、純和風の浴室、又はWCなど有り得ないし、土足のまま生活している洋風住宅も、また、ほとんど例がない。
「和風」と言うと、伝統的な重々しい日本建築を思い浮かべるかもしれません。
「洋風」となると、プロバンス風を代表格として、まさに千差万別な西洋風的な住宅を思い浮かべる人も少なくないでしょう。
それが本当の洋風住宅かどうかは別として・・・・・。
私の言う「和洋融合住宅」とは・・・・・機能は勿論ですが、主に、デザイン的に和と洋とを融合した「本当の住宅創り」を目指すものです。
作品集をご覧になって頂くと分かりやすいかもしれませんが・・・当然、和の強い場合もあり、洋が強い場合もありますが、それぞれの良さや好みを絶妙に「融合」した「すべてにやさしい本物の家」を創ることです。
尚、さらに付け加えれば・・・・・意味のない高気密高断熱をやめ、地球と共生し、自然の恵みをいっぱい受ける「パッシブソーラーの呼吸する家」、一番温めにくく冷やしにくい空気での空調をやめ、ポカポカ、ヒンヤリを感じる「輻射熱暖冷房のサステイナブルエコ住宅」の実現を目指しています。